殺生と戦争の民俗学 柳田國男と千葉徳爾 (角川選書)無料ダウンロードkindle
殺生と戦争の民俗学 柳田國男と千葉徳爾 (角川選書)
本, 大塚 英志
によって 大塚 英志
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内容紹介 戦場で人は何故、残酷なのか?怪物学的民俗学者の学問を今に問う渾身の評論柳田國男の最後の弟子、千葉徳爾。だが師の名に比して彼を知る人は少ない。徹底して自然主義を貫いた千葉は、しかしその異端さゆえに、「民俗学者」と名乗ることを抗い続けた柳田の最も正統な弟子とも言える。千葉が異様なほど固執した「殺生の快楽」、必然的に導かれる「戦争」と民俗学の密接な関わり。「公民の民俗学」として柳田学を説いてきた著者が、自らの師の研究に対峙し、現代の民俗学の在り方までを問う渾身の評論。(目次)序章 千葉徳爾『切腹の話』を読む第一章「山の人生」とワンダーフォーゲル第二章 青年運動としての民俗学第三章 殺生の快楽第四章 戦場の民俗学者第五章 実験の史学という問題第六章 「固有信仰」としての残虐性第七章 環境の民俗学第八章 コラージュする民俗学者第九章 「閃き」と「排泄」の学問第十章 日本民俗学の「頽廃」とは何か第十一章 千葉徳爾のロマン主義殺し ――再び「聖セバスチャン」殉教画をめぐってあとがき 内容(「BOOK」データベースより) 柳田國男の最後の弟子、千葉徳爾。だが師の名に比して彼を知る人は少ない。徹底して自然主義を貫いた千葉は、しかしその異端さゆえに、「民俗学者」と名乗ることに抗い続けた柳田の最も正統な弟子とも言える。千葉が異様なほど固執した「殺生の快楽」、必然的に導かれる「戦争」と民俗学の密接な関わり。「公民の民俗学」として柳田学を説いてきた著者が、自らの師の研究に対峙し、現代の民俗学の在り方までを問う渾身の評論。 商品の説明をすべて表示する
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著者は1958年生れの批評家・まんが原作者であり、筑波大学で千葉徳爾(1916-2001年)に民俗学を学んだ。その千葉は、柳田國男(1875-1962年)の弟子であった。著者自身の民俗学は、千葉民俗学の「フィルター」を通した柳田民俗学であると本書で述べている。著者は、千葉も柳田も、一人の人間が前身で世界そのものと向かい合った「怪物」のような学者だったと述壊している。著者は柳田の学問を振り返り、「公民の民俗学」、つまり「社会」や「公共性」を可能にする個人を「つくる」ための運動であると要約している(あとがき)。つまり柳田民俗学は単なる懐古趣味ではなく、昔からの日本の普通の人々の暮らしの中から、社会に繋がる要素を発見し、近代化の中でそれを確認し共有化することで、西洋化一辺倒に抗することと解釈できる。この点で、20世紀初期のドイツのワンダーフォーゲル運動と通ずるものがあったという指摘は興味深い。本書が引用しているように、柳田は『山の人生』の中で、山中で起きた家族内殺人事件に触れている。千葉は、柳田民俗学の「異端」に触発されて狩猟民における様々な特異な現象や風習を追求した。この流れの中で千葉は、「切腹」が焼畑農耕民の「動物犠牲」が起源であり、内臓を神に捧げることが目的であると主張している。われわれは潜在的になにがしかの「残虐性」を生まれ付き備えており、それが大衆が戦争に動員される局面で時折敵兵だけでなく、捕虜や敵国の一般市民に対して暴発する、というのが「戦争の民俗学」である、というのが本書の主張である。本書を読んだ感想として、狩猟民を祖先に持つ人間の本性には殺生を含む残虐性が隠されており、平常はそれを抑制するための社会的な機構(礼儀・風習や法律)が存在することは理解できる。しかし、戦争における人間の残虐性を民俗学だけで説明するのは無理ではないだろうか。狩猟時代には存在しなかった国家や軍隊という巨大な組織、そのような組織における人間の心理学、戦場において敵兵と対峙した場合の心理学、捕虜や無力な市民を相手にした際の残虐性など、心理学的、宗教学的、歴史学的に(その他多くの科学を総動員して)論ずる必要がある。本書の内容は元々「妖怪の民俗学」という雑誌連載記事だった(あとがき)とのことであるが、この方がむしろ内容を良く表わしている。
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