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異本論 (ちくま文庫)
本, 外山 滋比古
によって 外山 滋比古
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内容(「BOOK」データベースより)読者とは、著者の意図など考えずに自由な読み方をしていいのである。十人十色の理解。理解されることで表現は変化し、そこに異本が生じる。口承文芸など長い伝承期間を経た物語や歌謡が、具体性・簡潔性を具え古典になるのはそのためである。古典は読者によって誕生する。翻訳、コピー、原形と典型など、異本化作用から、広く表現文化について考えた画期的な本。初の文庫化。著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)外山/滋比古 1923年生まれ。東京文理科大学英文科卒業。雑誌『英語青年』編集長を経て、東京教育大学、お茶の水女子大学で教鞭を執る。お茶の水女子大学名誉教授。専攻の英文学に始まり、エディターシップ、思考、日本語論などの分野で、独創的な仕事を続けている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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一般に、古典は原書に忠実に解釈し、その原書が作られた時代や国の常識・価値観を理解しなければならないという考え方が当たり前とされていますが、そこに堅苦しさや敷居の高さを感じます。筆者は、〈古典は、作られた当初の原書のままで存在することは有り得ず、時代を経るに従って、その時代の常識や価値観に合わせた読み方(解釈)がなされるものであり、また、外国で読まれる場合は、その外国の常識や価値観に合わせた読み方がなされるものである〉と言います。こういったことを本書では「異本化」と呼んでいます。つまり、古典は「異本化」という過程を経て、古典となり得るのです。もっと肩の力を抜いて、現代日本人の常識や価値観で、古典を読めばいいじゃないか、と言っているようにも思えます。筆者は、広い意味で我々凡人が自分たちの理解力、常識、価値観に合わせて読むことも、「異本化」と呼んでいます。何と、楽しそうなことではないでしょうか!巷には、古典の超訳本なるものが多く出ていますが、こういった本も大いに「異本化」に貢献していると言えます。但し、以下のような記述もあります。〈と言っても、テクストは無原則にコンテクストの改変を受けるのではない。テクストには変動しうる可変部と、変化を許さぬ不変部とがある。コンテクストの作用に順応して変るのはこの可変部であって、もし、不変部を動かそうというような非当事者的理解があれば、作品の解体につながる。〉85頁
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